昭和41年03月13日 13日会



 全国に沢山のお道の教会がございます。中にも、んっとににごひれい隆々として、神様のおかげを頂いておられる所も沢山ございます。そういう様な所には、そこの教会、やはりそこにだけしかないといった様な、まぁ素晴らし神乍なアイデアがある事です。
例えば、玉水さんあたりは、大掃除なんかがあります時にはね、もう皆さんが、もうとにかくね、大掃除、「ほこりを被りに行く」と言うそうです。ね。そのほこりを被りに行くという、そのほこり被らなかったらもうそこに、もう信者者じゃなかごつ言うち、そのほこりを被るという事が、もう御徳を被りに行く事として、その、とにかく大掃除の時は大変な事だそうですね、皆が、そん変わり何時間と(?)ですけれども。これなんかは中々(?)と思うですね。それから、御大祭の時に、そういう様なものが、まあ自ずと出来て来るんですよね。「あなたは今度ご大祭にお三方何台おかげ頂く」という様なものが、あぁいう、お大祭までの合言葉だそうです。ね。してその、お台っ、お三方一台が決まってるんです、いくらというのが。お三方一台が一万円、そりゃもう10年も前の話ですから、もっと高うなっとるかも知れません。ね。
「いやぁもう私は今度はもうおかげよう頂かんでから、もう二人で一台、ね、三人で一台というような中からですね、一人で15台も20台もという人があるそうです。ね。勿論そんなに沢山鯛ばっかり、お酒ばっかりという訳にはまいりませんから、まぁそういう様な一つ(?)があるんですね。
先日のお道の新聞を見せて頂いとりましたら、ある教会のお月次祭の他にですね、「生きておる事を喜ばして頂くお祭り」というのがある教会があるです。生きておるという事がね。生きておるという事をお礼申し上げるお祭りがある。その教会教会によって様々なその、そうした一つのアイデアというのがあるですね。
あの泉尾なんかは、七五三の時には、例えば七五三の、人達が、もう信心のない者でもお参りする様な様々なアイデアがあるそうです。やっぱりあのう何とか飴を、の様なものに変わる物を皆にやるとかですね。または特別にです、「交通安全の御祈念の日」ちいうのがあるそうです。(?)やっぱり凄いらしいですね。もう自動車に乗らんでもですね、であの、んん、自動車に乗る人達はですたい、皆その、月に一回の御祈念に参りゃ、今月のその、自動車事故から守られると、守って頂くといった様なその事が、主にするところのお祭りというのがあるんですね。ですからもう本当にそれはごヒレイの立つ教会であればある程、それがね、おそらくあれが人知とか人間の考えで思い付いたのじゃなかろうと、自ずとああいうものが生まれて来たのに違いありません。そういう意味でですね、椛目の十三日会ぐらい素晴らしいことはないという事です。もうこりゃもう、もう誰が何と言ったって、もう椛目の独壇場でしょうし、また、もうこれが本当に内容が出来てきたら、もうこれは皆が、いやぁもう当然十三日会を成さなければいけないお道柄なんです、お道の信心は。ね。月に一回、天地の親神様の思いの成就する日として、神様の願いがかなう日として、13日の日は皆がここに寄り集うて。まあ例えば30日に致しまして、後の29日は氏子の願い事だけでも良いに致しましてもです、せめてその中の一日だけぐらいは、親神様の願いに添い奉る、親神様に喜んで頂ける日、神様の御悲願が成就する事の日のために、この13日の日に皆が集うて来るという様な集いなんかて、もうこりゃ、もう誰が何と言ったって、どういう会合よりも素晴らしい、言うなら、まあアイデアという言葉では可笑しいかも知れませんけれどもです、アイデアと思うですね。ね。これがいよいよ内容共に充実した、本当に内容がです、本当に天地の親神様の御悲願御成就の事のために、私共が寄与させて貰うと、それに集わせて頂く、そこに全力を今日一日はあげさせて頂くと、ね、そこからです、神様の願いに添う生き方というものが、こんなにも有り難いものだという体験が生まれて来る様にならなければ駄目ですですから。ね。
真心の限りをです、この13日という日に、私共がここに寄せて、本当に天地の親神様が感動まします様な、それが働きになり、それが銘々の体験になり、これは十三日会だけの事ではない、ね、言うならば四六時中こういう天地の親神様のお心に添う事に専念さして頂けばこういうおかげが受けられるんだ、神様の喜びの印をこうして見せて下さるんだというです、私は体験を積んで行かなければならない。だからままに13日会ままに天地の親神様の願いが叶えられる日としてと、言うておるだけではもちろんだからいけません。皆さん考えてご覧なさい、この13日会のですね、この椛目に発会すると言う時のそもそもの事を。もうどんなに考えても神乍な事のもんですけれども。こんな素晴らしい事はなかろう。椛目に十幾つかの様々な会合がございます。小は少年少女部会から、小は禎心会の方達の上に至るまでです。
その13日会を中心にしたところの、その会の進め方でなからなければならないと言う事なんです。今日ちょうど私しがここを下がろうとするちょっと前でした。ある御婦人の方がお参りになられました。娘さんが、縁についておられます方が非常に、その難儀な事なのです。大体その方がクリスチャンらしいです。けれどもその現在のキリスト教ではです、そういうもうそれこそ何日か前からどっちから見えておられるんでしょう。もうずうっとう泣きどうし今朝私がこちらに来るまで、そこの中で泣きよります。
何がそげん苦しかの、何がそげん悲しかのって。あんたげお母さんに言わにゃ分からんじゃない。子供三人連れて帰って来て、主人が亡くなっておられる。向こうには後よりの姑親とお父さんがおられるらしい。だいたい経済で困っておると言う訳でもなかろうばってん、金銭的の、人間関係の、たった人間関係とちょっと言わっしゃっただけじゃった。そしてからずっと泣いてござる。どうでもあんたがキリスト教の洗礼を受けておるかどうか知らんけれどもですね。
金光様のご信心を頂いてからその苦しみからのがれさして頂けれる道を椛目じゃ説いて下さるから、私に騙されたと思うてついて来んの言うてから、夕べから申しておりますけれども、布団の中から泣きながら。泣くほど苦しい事があるにもかかわらず、ここへ出て来ません。もう先生それば見よるともう私の方が泣きだそうごとある。私のほうが苦しくて堪えん先生どうしたもんでしょうかって。言うて言われるけんそりゃよかとこ通っとるの。て私しが言うたらあんたが腹かこうがね。
ちょいとそりゃあぁたこげな有り難かことなかよってね。キリスト教ではいろいろ助かられんと言う事がわかっていきょると。そしてここにですね本当にお道の信心によって助かられる体験が生まれる前程なのだ、その生みの苦しみなのだ、神に合わずあんたも一緒に苦しまずに、あんた自身がこんなに助かっていっとると言う事を娘に見せにゃできませんよ。だから娘の事やめといてからあんたが助かる事。今朝からの御理解を頂きなさい。そいうて今朝の御理解頂いてから。
ちょうどお昼でしたから一緒にお食事どもさして頂いてから帰られた。帰れれる時には本当に心配をここに置いて帰れと言った様な感じで帰られた。あんたが助かる事なんだ。先ず娘場連れて来て娘に話を聞かせようと言ったって駄目だと。自分自身が頂かなければ、自分自身が助かっておる姿を見せなければ。なんの子供がついてくるものか。そこの息子さんも一緒にここに参って来るんですよ。それをその息子も申しますって、お母さんこりゃその兄弟の事言うてですね。もうありゃ椛目に連れて行く以外にゃなかばいって。
それで椛目に引っ張って行かんの、さぁ日引っ張って行ったからと言うて助かるのじゃない。助かってる姿でも見せなければ、先ずだれよりもかれよりもあんたが助かる事だと言うて申しました事です。その前後してからでした、前後してからじゃない。そこすぐ直行でした。大分の豊後森からと言うて今日お参りがあった。親子何人でしたかで参って参りました。奥さんが時々参って来る。子供が高校の入試でもう学校の先生からは、もう難しかと言われたとこです。それでも親としてやっぱりその受からせたい訳なんです。
それで金光様にお願いして。もう全然信心のしの文字も無い。そのほかの事は一切に恵まれておる。私が現場に行くまでここにおられましたんですけれども。そしてそのお父さんの言われることで。別にどうと言うて神様に縋らねばならんと言う事は、何にもありませんけれども私しは父親として、おやじとしてですね。今度だごと苦しかった事はございませんでした。もう親の私しがここ何日間か御飯がいけななかった。
そしたらもう試験があって合格と言う通知を受けた途端に、一遍にお腹がすいてから、もう本当に親っちゃ馬鹿なもんですと言う。私共信心なかものでもやっぱ縋らにゃおられなかった。ね。いわゆる金光様金光様といわんのいうが、わきゃわからんなり金光様金光様と言うておすがりさせて頂いた。どうぞこれに受かれます様に、受かります様にと言う事だけのなんだけれども。親というものはそんな思いで子供の試験を考えてるんです。天地の親神様はどうでしょう。
私共が例えば今私が商売にお取次ぎをさして頂いた。そういう一つのまぁいう私しじゃら言えばひやひやの様な所だけれども、本人にとっては、また娘にとっては、それこそ泣きの泣きどうし泣いておる事は苦しい事なのだ。けれど私しから見ればそれはもう素晴らしい事だ。もう救うのでなくかかろうとしている。掛ろうとしている前程なんだ、生みの苦しみの難儀なんだ。というてですね例えば親が(?)安全なおかげをと言うとるでしょう。どうぞこの試験に合格してくれると思うとるでしょう。
ところがそれが流産になったと言うたらどげんなりましょう。その試験に落第したらどうでしょう。もう本当にががっかりものだろうと私しは思うです。私共が日々信心させて頂いてです。天地の親神様の思いに触れて行くならです。どういう難儀な場合でもです、それは難儀ではない。本当にそれが神愛のそれが現れであると言う事を分らしてもろうてです。それを見事にパスして行った時の親の喜びはどんな事でしたでしょう。
それが(りゅうがみ?)ならずに、いわば安産のおかげを頂いて、それが立派なおかげが生みなされていく事になったらどう言う事になるでしょう。それこそ神様が喜んで下さる。私は神様の願いが成就すると言った様な事をですね。そういう信心が分って行く事だと私は思うです。お互いじっと振り返って見て御覧なさい。あんときの失敗じゃっとあん時の流産じゃっと。今朝から私しが申しております。お互いの小さい願いが成就すると言った様な事は仕方ぁもない事だと。
きょうで願う氏子におかげを授けと仰ってですね。金光大神のお徳でお取次ぎを、おかげをお取次ぎをして下さるんだけれど、次には理解申して聞かせと仰る様にです、だからもう理解申して聞かせると言う事はそう言う様な事なんだ。真実私共が教えによってどのような場合でも助かっていけれる。どの様な難しい言わば難関と言われる試験でもです。そこを通り抜けられる道を日頃教えて頂いておる。神様が試験問題を出しなさるのに、教えもせん所を出しなさる筈は絶対にない。
もう何遍も何遍も繰り返し繰り返し教えておられるところが、次の試験なんです。だからその気になりゃすぐ分る事。そこをどっこいと受けて通れれるところを、お互いが通り切らずにです。そこをしだごだにしておかげの方もしだごだになる。まぁ流産にならずともしだごだのおかげでただおかげを頂いておると言うのでは本当な事じゃない。そこをスッキリと見事にパスしていくおかげを頂く。
成程あれは生みの苦しみじゃったという珠の様なものが生みなされてきたと言う様な喜びを。私共が味あわせて頂いて神様もお喜び下さるのである。安心して下さるのである。そういう私しはことがです、いよいよ13日会と言う事はですね、神の願いが成就すると言う事は、そういう信心が一人一人の氏子の上にそれが、氏子一人一人の上の身上になる。氏子のものになる。信心が皆さんの一人一人のものになるという事の願い。そういうおかげを頂く以外にはありません。
そこからいやが上にです、なるほど神様の喜んで頂くからです、試験に合格したらおやじがおぼえんごとなって、腕時計を買うてくれるでしょう、万年筆も買うてくれるでしょう。欲しいと思うておったものは、よしよしと言ってから買うてくれるでしょう。そう言う例えばおかげをです頂かして頂くもんですから、御造営なんかはそれこそいけずのごと出来るでしょう。ですから御造営そのものが出来る。成就すると言う事が神の願いじゃないです。それをそうさして行く所の、原動力になる信心を神様は求め賜うのです。
それをひとつおかげを頂かせて頂いて、もうとても私しは日本中どこを探したってです13日会の様な素晴らしい内容を持った会はまずまずないとおもいます。椛目がいよいよ晴れの檜舞台に出らして頂いて、椛目の13日会が動いた。椛目の13日会が動きよる。それが全教の動きになって行かん筈はない。そういう繋がりを作って行けれる内容を持っておると言う事。そこに私しは大きい事を言う様ですけれども。教団の生き生きした働きにも繋がって行かなければならんと言った様な事を。
まぁ本当に心からの真似事なんでございます。まぁどうぞそういうおかげを頂くために、ただ13日会に通うておる、月に一回出て来ておると言うのだけではなくて、その13日会の内容とするそのもの、それはこの13日会が生まれたそもそもの、その時分の事を思わせて頂いて、ある意味でこの全体のものが、その間のこのごりような事に直面した時。この13日会が生まれたのです。そこんところを思わせて頂いたら分るでしょうが。そういう信心をいよいよ自分のものにして行かなければいけないと思います。
   どうぞ。